2011年3月11日、忘れてはいけない10年前の出来事。早いもので10年が経ってしまいました。
大きな揺れがこの東京八王子にも襲いました。時の流れるのがゆっくりに感じるほど長い長い揺れが続き、最後の「ドドーン」という地響きにも似た音が記憶に鮮明に残っています。10年前の現在の時間20時頃は、電話回線が不通となりあらゆる場所で停電が発生し交通網も麻痺しました。弊社警備員と連絡がつかず翌日の勤務の配備も夜中になるまで終了できなかったことを思い返します。その後の物資の枯渇、ガソリンなど石油類は物流の影響や被災地優先の供給で、警備員さんの通勤にも支障をきたす事態でした。
私は岩手県宮古市の出身です。幸いなことに身内が命をおとすような事態は免れましたが、どす黒い津波は自宅前まで到達したと後日聞きました。あの街を知る者が山肌に近い住居のそばまで到達するなんて思いもよりませんでした・・・事実、復興復興と言われテレビなどで映し出される映像の中身は正直、真実というかリアルが感じられません。街の中、海に近い場所には基礎だけが残った敷地や更地が多く見受けられます。防潮堤の工事が行われている場所を随所で見ますが、コンクリートの壁に覆われ海が見えなくなったり港の町で感じる「磯の匂い」すら薄れています。子供の頃に遊んだ海は様相も変わり、10年前、いや子供の頃の景色と全く違うと感じます。
それでも早いもので10年。生まれ故郷・宮古市というより三陸を取り巻く環境は大きな変化も生まれています。
仙台~八戸までの三陸沿岸を縦に直結する「三陸沿岸道路」の全線開通、「宮古盛岡横断道路」の部分高規格化など、宮古市へのアクセスは飛躍的に向上し始めています。私が帰省するときに使う「国道106号線」は、これまで60km/hの速度なら1時間40分の道のりでしたが、部分高規格化のおかげで1時間前後で宮古市中心部までアクセスできるんです。
仙台から盛岡を経由して宮古に向かった場合はざっくり3時間ぐらいかかりました。仙台から三陸沿岸道路を使って宮古までアクセスするには今ならもっと短縮できるのでしょう。この10年でよくぞここまで、感動さえ覚えます。
被災者の方々にとっては「もう10年、まだ10年、やっと10年」などそれぞれ感じることは違うでしょう。被災された方、被災して身内を亡くされた方は特に、まだ前を向いて歩けない方も居るかと思います。そんな方々が一日でも早く心から笑える日が来れば良いですね。